それにしても。。。信号が・・

 北信州の温泉。今日は台風も通り過ぎ、久しぶりに朝から快晴。
夏にこれなかったこのコース、移動の関係からスタートはお昼だ。
日暮れも日一日と早くなってくるこの季節、持ち時間は6時間。
このときは、これ以降は1手30秒以内でお願いします・・10秒・・
20秒・・・6、7、8・・○○名人残り時間5分となりました・・・
などとなるとは思いもしなかったのだが。
 温泉街を抜けゆっくりと上り始める。心拍は許容範囲以下、想定値以下で推移している。
理由はふたつ。
ペースを落としていること、疲れがあること。
 真夏とは違う秋の空気。
初めてここを登ったとき、かなりの勾配がある上りだと感じた。
が、今。最高地点までを勾配の特徴で3区間に分けたデータが完成されている。
10〜13キロ地点だけ27T多用、それ以外は21、24TでOK。このように
難しいと思えた上り坂も、分析されつくせば怖くはない。が、楽しみもその分少なく
なるのだが。
それにしてもまだ9月というのに山からの風が涼しい。
ペースを落としていることもある。が、上りだというのに涼しい。
急勾配地点を過ぎ、下り区間が混ざるのぼり区間
涼しさが、寒さに変わる。色は正反対だが、あのときのIVAN MAYOのようにフル
オープンにして登ってきたジャ−ジの、ジッパーをあげる。
 最高地点に到着。峠ではないのでここがそうであると分かる人はあまりいないだろう。
補給をとり、アームウォーマーをする。
それにしてもこのあたりから続くアップダウン・コーナーの連続・・・素晴らしい。
何度来てもそう思う。
K牧場でもうひと休み。
それにしてもここの眺めがまたいい。眺望がいいわけでないのだが。
 今日のコースをここで決めよう。光と影、表と裏で例えれば間違いなく表側になる国道まで
でて大きく周遊するロングコースは時間的にもう無理だ。代案として地図で読んでいた
裏側ルート周遊にしよう。このルートだと、
自転車で上るのは初めて
自転車で通るのは初めて
通るのは初めて
という区間がかなりある。距離も上り区間も減るが、新鮮さがある。
ここから最大でもあと70キロ程だろう。日没までには戻れる。
途中あの温泉に入れたらいいが・・・多分あとで後悔することになるので諦めるか。
 すでに山側の陰に入る道では肌寒さを感じる。
それにしてもこの辺の道には平坦区間がない。
わかってはいても、ここでまた上りがあるのか、それもどこまで上らされるのか、
まさか向こうの山をまいて登るはずはないだろうが・・・。
思わず笑ってしまうような、あきらめの境地にさえなる。ひとり言には事欠かない。
 それにしてもこの道を必要とする人は何人いるのだろう、と考えてしまうような人里離れた、
人影まばらな北国の初秋・・・。なじみある温泉を通過し、そろそろあるはずの左折する道に
注意して下っていく。と、地名も何もなくただ何号線、とだけある標識が小さくひとつ。
通り過ぎて一瞬、腰をあげ振り返り・・間が空く。いきなり急勾配で登っていく、よくある
行き止まりのような道だったが本当にあれが・・・。戻って確認。携帯している地図にかろうじて
載っている県道番号と同じだ。
それにしても何とシンプルな標識だろう。
たしかにこの方向からこの道を通る車に、行先地名など必要なかろう、と納得。
坂を上りきるとちょっとした台地が開けている。ところどころ聞いたことも見たこともない集落の
地名標識が立つ。地図上で見たこの道の曲線イメージと比べながら、違う方向にだけは行かないよう
気をつける。すでに、予想されたことではあるが持ち時間には黄色ランプが点滅し始めている。
 それにしても傾き始めた日差しに照らされた、稲刈りを間近にした稲穂が輝くさまは格別に美しい。
 それにしてもこういう集落で生まれてから死ぬまで暮らす生活とはどういうものであろうか。
 それにしてもいったいこのあたりの冬は、どれほどの雪が積もり、雪に埋まるのだろうか。
思わず微笑んでしまうほどに、この道は忠実に地図の曲線イメージ通り進んでいく。
よしよし、いい道だ。このままあの先を抜けて少し登ったら、あの森を右手に曲がりながら下って
行くのだよね、あなたは。その前に瀬音のするそこの小さな流れまでは下って・・・。
語りかける人も、道行く人もいない寂しく美しい初秋の北国の夕暮れ。
それは人を、道に語りかけさせもする。
 ふと思い出しそして眺める、手元に、悩みや迷いの相談に乗ってくれる子猫をのせていたことを。
「ここを見て頂戴、あなたが思っていた最大距離までもう10キロもないわよ、もっと距離があるわ」
「ここを見て頂戴、日没時間が何時かはあたいは知らないけどもうこんな時間よ、大丈夫なの?」
「ここを見て頂戴、平均ペースがいつものあなたらしくないわね?」
そんなことを言われても・・・。
 日本海に注ぐ川に向かって細い道を下っていく。身も心も冷えてくる。
それにしてもなぜあなたは、こちら側で千曲と、信州ではない下流信濃と呼ばれているのでしょう?
呼びかけても聞こえてくるのは穏やかなせせらぎの音だけ・・・。
あ〜あぁ〜川の流れのよう〜に穏やかに・・・どこからかそんな歌声が聞こえてくる。
振り向いても、見渡しても誰もいないはずなのに・・・。
で〜こぼこみちや〜まあ曲がりくねった道〜・・ておいらのことも少しは考えてよ〜。
キシリウムミシュランが日本語でぐちをいっているのか?
 が、彼らのうえでもすでにのんきなことばかり考えていられない状況が起きている。
何となく冷えて、おなかの辺が寂しい、上り坂をイメージするとイヤイヤをする・・・
数々のツール覇者と覇者になりかけ転落した兵どもをも襲った魔物、ハンガーノック症候群。
あの温泉に身も心も浸り、疲れを癒すまでに・・あと少なくとも600は上る。足りない。
エネルギーが足りない。
足がいっぱいでも、心臓がバクバクいっても適切なギアさえあれば上ることはできる。
が、エネルギーが切れればどうにもならない。
 実るほど垂れる頭の稲穂かな。頭を垂れ、子猫と相談してみる。
「ここを見て頂戴、おそくても17時までにあの上り口に入らないと無理よおー」
「ここを見て頂戴・・・」
おっとごめんね、急カーブだからね。昨日、まさかの後輪ロックをした変則コーナーが頭をよぎる。
急がば回れ、回れば遠い、遠けりゃ日が暮れる・・。
背中に残っているエネルギーは・・おおこれは子猫には分からない。
体重を15グラム増加することができるカロリだけしかない。足りない。
下りきったところにある集落で店がなければ・・・残念だがこのルートはダメだ。
 それにしてもこの道をロードレーサーで下った人は、この10年間で何人いるのだろうか?
 それにしてもあの集落に食べ物を売っている店があったろうか?
 それにしても・・・あそこに見えてきた道端に仲良く並んで立っているおばあちゃんは2人は、
いったい誰を待っているのだろうか?娘さんの迎え?おじいちゃんの?自宅への??天国への??
 店が・・・あった。
人もいる。
食べものが並んでいる。
円が使えた。日本語も・・通じた。
 手早く補給を済ませ糖分入りの缶コーヒーを飲む。そして、心なしかふくれているような子猫を見る。
わかってるわかってるって。もう15分も時間オーバーしているよ・・。
 街灯はない。人も絶対いない。おばけは・・いるかもしれない。車も1台も通らないだろう。
こんなとき頼りになる、子猫のお兄さんは車の中で眠っている。
パンクやメカトラがあったら歩くしかない。それでもこの道を行きますか?
 上りはじめは急だ。0キロから始まる距離表示板だけは、200メートル毎に完備されている。
子猫が見れなくなったあとは、それで位置確認ができる。
平均勾配は緩い、途中で下りもある。その分上る標高差が増える。が、少しでも目が見えるうちに
距離を進みたい今はスピードの出る下りがありがたく思える。距離掲示板が測ったように、いや測られた
とおり距離を刻む。
 それにしてもいったい誰がここまで正確な距離掲示板を必要とするのだろうか、今の私以外に・・。
暮れなずむ西方の空が、まだうっすらと茜色を雲に映しこんでいるのが見える。ひととき心がなごむ。
太陽の偉大さを体感する。そして、少しずつ少しずつ・・・暗くなる。
あと何キロ、何キロ地点までまだ明るさが残っているだろう。もう1キロ、できればもう2キロは・・・。
エネルギー補給のおかげで身体面での不安はない。それでもいちおう点呼をとる。
足、心臓、水、エネルギー、寒さ・・。全てOKだ。
怖いのは何だろう?・・・パンク、迷子、おばけ、熊。
おお、これはまるで小学生の遠足だ。
お店を見つけて喜んで小銭で甘いパンを買い、日暮れの恐怖におびえ、背後のおばけのでそうな
森におびえ、子猫と会話をし、迷子になったら・・泣きそうだ〜。
だましだまし坂をのぼり、下り、コーナーを曲がり進んでいく。そして迫る暗闇に応じて研ぎ澄まされ
てくる視覚以外の5感・・・あの山と山の間を通り抜ければ行きに通ったあの道にでるだろう・・・。
 その感覚通りに上り区間がついに終わる。あとは慣れ親しんだ道を温泉まで下るだけだ。冷えを防ぎ、
人目につくように白のウインドブレーカーを着込む。この時間のこの道では「人目」は有り得ないので、単に言葉の
綾でしかないのだが。暗闇でのパンクや落車に十分すぎるほど注意をして下る。
でももしも、行く先を黒い大きな動物がふさいでいたどうしよう?
覚悟を決めてすり抜ける?真っ暗な来た道を戻る?死んだふりをする?
いずれにしても笑えない状況になるだろう。
 あたりが漆黒の闇につつまれる頃、遠く下のほうからチラチラと街明かりが見え出す。
ほっと安堵のため息が漏れる。
 急坂を下り温泉街の、街灯に照らされた路地に到着。真夏の湘南海岸にトレンチコートを着た男が一人、
というほどの場違いな姿はさておき、まぶしい。白色光がまぶしいのだ。
目がくらくらし、勝手知るはずのこのあたりの路地を間違えて下ってしまうほどに・・・。
ほんの一瞬、露天風呂などにあるあの白紫色の害虫駆除灯に目がくらみ、吸い寄せられ、
短い一生を終える蛾の気持ちを完全に理解できた。間違いなく、でも間違いなく何の役にも立たないが。
時速15キロでのぼった坂を、今再び目を覚ませた子猫のひんしゅくをかうような速度で下った。
「ここを見て頂戴、時速20キロの下りっていったい何なの?」
何を言っているんだ、寝ていたくせに・・。いけない、いけない、いつまでもこんな会話をしていると・・・。
 車を停めた、あの青空とまぶしいのほど日差しが降り注いでいた駐車場がもう目の前だ。あれから僅か
6時間とちょっとしか経っていないとは思えないほどの時空間の隔たりを感じる。
ふと視線をあげると・・・何やら見慣れない派手な色使いの明りがある・・・信号か!
 120キロ走ってきたこの日、最初に目にする信号だった。
まるで街明りと人恋しさにひかれ、フラフラと山を迷い降りてきた小熊が感じるだろうそのままに、
そのカラフルな明りが違和感をもって、しかし燦然と輝いていた。