欧州便り⑥

 シュツットガルト近郊からフランクフルトへはいくつかの高速ルートがある。どちらがより走れるか、頭の中で高性能?コンピューターにデータインプットさせ最適解を出すよう指示。しかし・・・ハードな走行(これはMTB)による疲れ、ビール効果、水分不足、雨、トイレ休憩なし、の状況で日本製コンピューターは今ひとつ働かない。ジャンクションが近付く、がどちらも渋滞中だ。分岐ギリギリで選んだルート、だったが何と延々数キロにわたり1車線に規制しての工事中だ。聞いてないぞドイツ人!と怒ってみてもしょせんドイツ語などほとんど聞き取れない語学力のなさがジャブのように聞いてくる。ラジオに入る渋滞、工事情報らしき声も、何だかフランクフルトまでまだ渋滞箇所があるらしい、ぐらいしかわからない。ふとせめて機内放送みたいに英語でも言ってくれないかな?っていったい誰が言ってくれるのでしょう・・・。都内の首都高速の渋滞に巻き込まれた、コートジボアールの人やパナマ共和国の人の(深い意味はありません)やるせない心境は・・こんな感じではなかろうか。と新たな世界平和を考える境地に心は達しても・・車は動いてくれない。(トホホ)
 ノロノロ運転が続く1車線規制、すでにミネラルウォーターも切れた。こんなことなら冗談じゃなくボトルの水の飲み残しでも・・・欲しい。炎天下のドロミテを涼しい顔で(??)こなした私がドイツのアウトバーンで水切れに苦しむとは・・。はるか前方に2車線が始まる上り坂が見えてきた。あそこからシフトダウンし一気に加速だ、少なくとも3台前のおんぼろキャンピングカーまでは抜かないと・・、BMやベンツの加速レースに加わるために集中力を高める。まるでラルプデュエズのゴール手前4キロ地点、お互い相手のシフトチェンジのかすか徴候をも逃すまいと集中するランスとウルリッヒのようだ。できることはそんなことだけ。雨があがり暑くなってきた車中、でもクーラーを入れるとパワーが落ちる。でも水切れでのどの渇きを少しでも抑えるには汗もかきたくない・・・。2車線になる手前でクーラーを切り、アクセルを踏み抜く。F1レーサーになったような緊張感を味わいつつ、自らのドライビングテクニックがF10くらいなことも知っているので「安全第一」は絶対なのだが。ようやく150キロまで加速したと思ったら「はるか前方」で急ブレーキの様相。このスピードからのブレーキング、残念ながら日本で経験ありませんので・・・。一瞬のミスも許されない。が、幸いロードレーサーでの長い雨の下りなどに比べると4輪はグリップ゚がいいね、おっと後ろのおとうさんしっかり止まってよね・・。飛行機に乗り遅れても命に別状はない。が、こうなったら自分の限界(ちょっと手前)まで攻めるのもいいだろうとゴーサインを出し、ジェットコースターを運転しているようなスリリングな状況が続く。
 それにしても(こんなに頑張っているのに)無常にも渋滞波状攻撃はとどまるところを知らない。1時間前には30分単位の計算をしていた。今は10分単位でのシュミレーションにはいった。ハイデルベルグやダルムシュタットという懐かしい標識が目に入る、が今願うのはただひとつ。ドイツ人のお父さん、お姉さん、雨も上がって日も差してきたことだしもう少しビールでものんでゆっくりしていってね〜、高速に乗るのは私が通過してからにしようね〜と。が、そんな思いが通じるような人種ではないのか、勤勉を絵に描いたような彼らは渋滞中の高速道路のジャンクション毎に「規則正しく」なだれ込んでくる。さすがに強気で押していた私も、このドイツ人攻勢(??)にいよいよお手上げ状態になってきた。屈辱の飛行機乗り遅れ、という事態を受け入れなくてはならないか。ところが15キロ手前あたりから車線が一気に5車線まで増え、流れ始めるではないか。最後のチャンス、とBMやベンツを後ろに従え左車線をとばす。いきなりあらわれる(ように思える)FLUGHAGEN(だったかな、それよりはもう「飛行機マーク」だけが頼りですが)標識に瞬時に反応し右へ左へと素早く(当社比)車線変更をこなす。これはもしや最後の最後で・・・間に合うぞと淡い希望が。ノーミスで(気分はF1レーサーでした)出発階に到着。ちらっと時計を見ると・・35分前だ。(多分)ここは駐車禁止だよ、とかぶつぶつ言ってくるドイツ人(すいません)言葉が分からないふりで振り切り、チックインカンウンターへ走る。ペダルやペダル交換用レンチまで詰まったずっしり重いスーツケース、ヨーロッパでも1、2を争う広〜い空港である。10分後にようやくたどりついた「その航空会社」のチェックインカウンターは???何だか暗いぞ。いや〜な予感。照明が消えている・・・。(トホホ)。それでもあきらめずに、緊急デスクのようなところにたどり着き「荷物は翌日でもいいからのせてね」と地面から生えてきたようなどっしりとしたおばさんに最後の愛想を振りまき(振りまけるほど残っていませんでしたが)じゃゲートの係員と話してみる?と渡された受話器。何語で何て言えばいいのか(ドイツ語、英語、韓国語、日本語??)悩む暇もなく、冷たい一言「NOTHING」。ということは(あとから思うに)とにかく荷物は無理でもいいので、その飛行機に乗るために私にできることはありませんか??」って英語で聞いたようですね私は。まあ実際には電話機を渡された時点でもうチャンスがないことは分かっていたのだが。車も停めっぱなし、重量オーバーのスーツケースをかかえもうどうにもならないでしょう。
 さすがに意気消沈。疲れがどっと噴出す。「フランクフルト軽視罪」により24時間以内の「フランクフルト抑留刑」を受けたと思えるまでにはまだ紆余曲折があったのだが・・。「何とか日本に生きて帰してね、お願い」と気分はまるで拉致被害者のよう。東奔西走し、何とか北京までの片道切符を入手。諦めてこの街に1泊だ。「乗り継ぎの都合でやむを得ず」「予定通り」1泊だけした十数年前以来、である。でも何だかまだ明日無事に出発できるまではフランクフルトの悪口を言う(というか思い浮かべる)勇気はない。車を返した今、怖いのは地下鉄ストライキ、テロ、自分の病気・・考えてみれば明日無事に空港を発てることがいかに難しいか・・・いけない、いけない、すっかり弱気になっている。もう悪あがきもやめ1泊○○万円の豪華フランクフルト滞在を楽しみましょう。翌日素晴らしい日和のもと、美術館を見て初めての都会での買物の済ませ・・。「ワオーBEIJINGだ」などと言って(多分)盛り上がっているドイツ人や、相変わらず甲高系のにぎやかな(うるさいとは言えません、立場上)CHINESE様に混ざり、ポツンと寂しく日本人。20年ぶりかにのった中国系航空機、笑顔の素敵なフライトアテンダントのおかげで?よく飲みよく食べよく寝ました。オリエンタルな魅力を目前にし賑わうゲルマン人と帰郷の喜びに賑わう中華人種のなか、わが身の行く先に不安と疲労を漂わせて・・。幸か不幸かこのときはまだ、テポドン発射やらNH機日本海航路変更などのニュースも知らずにBEIJINGに到着。不安なことは2つ。大丈夫とは思いつつ、思い違いで中国入国拒否にあいフランクフルト強制送還か、運が悪ければスパイ容疑でNORTH KOREAへの送還、そうなったらドストエフスキーみたいに獄中記でも書いて作家デビューかなど・・・。もうひとつは無事中華人民共和国様へ入れていただいたとして、成田などと贅沢はいいません、名古屋でも仙台でも那覇でもいいんですけど・・あまり高くない航空券をクレジットカードがユーロで購入させていただけるのでしょうか・・・。もう気分はすっかり弱気になりつつ最も緊張の入獄(おっと入国でした)審査、ここはスパイもの映画じゃないが平静を装い「善良で何も知らないか弱い日本人?」を演じきる。そして無事「秩序」という言葉からは永遠に無縁であろうこの大国らしく、無秩序にごったがえす空港で寄ってくる白タク?やらガイドなどをかわし、奇跡的に人がいる(そこまで悪くいうのも何ですが疲れているで大目に見てください)チケットカウンターを発見。最も愛想のあるお姉さんを指名、じゃなくて目指してまっしぐら。そこそこの金額で(奇跡的に)1時間後に出る成田往きチケットを入手。大げさでなく、ようやくこれで日本に帰れるのかもしれない、と思いました。スイス製やオランダ製の怪しいオイル(って持って行ってよかったな、のアソスシャモアクリームやスポーツバルムです)も詰まったスーツケース、人をかきわけようやくチェックインも済ませ後は出国審査だ。と後ろからお姉さんが訳の分からぬ言葉で(って多分中国語ですよね)追いかけてくるぞ・・。何も悪いことしていないけど・・今回だけは見逃してね?。どうやらドイツ製クナイプのバスソルトのプラスチックケースが、プラスチック爆弾にでも写ったようで・・。そういう眼で見れば怪しげなオレンシや黄色の粒子だが・・。無事釈放された。久しく乗ったことのない某日本国航空機に乗り込み・・・。
 機内で・・おー日本語のアナウンスにNHKのニュース、台風が来ているって何のことだっけ??お食事の前にお飲み物をお持ちいたしますが・・・お好みの銘柄はございますか?って一瞬何のことかわかりませんでした。ビールの銘柄・・なんて平和な国なのでしょう、私が生まれ育ったという国は。率直な感想でした。